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2011年01月12日

坊や大きくならないで

昨日の沖縄タイムスの投書欄に、安里さんという方の次のような投書が掲載されていました。

「12月12日午前6時20分ごろ、NHK第1ラジオから1960年代のベトナム戦争のさなかで歌われたというフォークソングが静かに流れた。その番組名や紹介した担当者の名前は覚えていないが、紹介された歌手とその歌は忘れられない。ベトナム人歌手の名前は、チン・コン・ソン。歌の題名は「坊や大きくならないで」である。
当時20代であった青年時代の私も間違いなく聞いていたであろうこの歌にまつわる解説者の短い話によれば、この歌は、ベトナム戦争に反対する反戦歌。2001年に亡くなった彼は、当時南ベトナム軍事政権によって逮捕され、歌は禁止となった。
ベトナム戦争終結=南北ベトナム統一後の現在も、なぜか、解禁されないままだそうだ。軍事大国アメリカや日本で歌われているというのにである。なんという歴史の狡知だろうか。
…坊や、大きくならないで、坊や大きくならないで、戦争がおきている、坊や大きくならないで…。哀調を帯びた静かなメロディと祈るような歌詞は、戦火におびえる子らへの子守歌であり、反戦歌である」

私も印象に残っている歌なので(そのラジオ番組は聴いていませんが)、少し補足をしたいと思います。

この歌は「Ngu di con」というタイトルで、直訳すると「お眠り、坊や」という感じになると思います。
大人になって戦場に送られ、命を落とした息子のなきがらを前に、母親が「お眠り、坊や」と語りかける歌で、まさに「子守歌」です。
これ以上悲しい「子守歌」は、ないかもしれません。

元の歌詞には「坊や、大きくならないで」という言葉はありませんが、邦題としては上手な訳だと思います。

投書にあるように、この歌は当時の南ベトナムで禁止されたそうです。
日本では、1970年代初めごろにベトナム人歌手のカイン・リーが紹介したほか、高石ともやなど数名の歌手がカバーしたと聞きました。

投書には「歌手はチン・コン・ソン」とありましたが、チン・コン・ソンは作曲者の名前です。彼自身が歌うこともありましたが、ラジオで紹介されたというのは、おそらくカイン・リーが歌ったものではないかと思います。
チン・コン・ソンは南ベトナム政府に睨まれていましたが、逮捕までされたかどうかはわかりません(サイゴン解放後、チン・コン・ソンは共産党政権によって、一時期再教育キャンプに送られたそうです)。

この歌は、現在もベトナムでは禁止に準じた扱いになっていると思います。
ベトナムで発行されているチン・コン・ソンの作品集(楽譜)には、120曲以上の作品が紹介されていますが、代表作のひとつであるこの歌は、なぜか載っていません。

反戦歌は、共産党政権にとって好ましくないみたいです。
なんかよくわからない考え方ですが…。

ただ、「禁止」は徹底されてはいないようです。
チン・コン・ソンの追悼コンサートでは、彼を慕っていた女性歌手ホン・ニュンがこの歌を熱唱し、DVDにも堂々と収められています。
ベトナムの文化政策も、だんだん変わってきているようです。

悲しい歌ですが、これからの若い世代の人たちにも伝えたい歌だと思います。
歌詞を紹介します。

お眠り坊や
黄色い肌の私の坊や 
私はお前をあやし 傷口を赤く染めた銃弾をあやすの
20年たって 子どもたちは軍隊にとられ 行ったきり戻っては来ない
黄色い肌の私の子 お眠り坊や
あやすのはもう2度目
ああ、この体も昔はあんなに小さかった 胸に抱いたり腕に抱えたりしたのに
ああ お眠り坊や

お眠り坊や 私がお腹を痛めた子の 唇から苦しみの声が聞こえるよう
20年たって 子どもたちが大人になると 戦場へと出て行った
黄色い肌をしたこの大地の子
お眠り坊や 今は風塵になってしまった子よ
ああ、どんな傷がその熱い肌を 深くえぐってしまったのだろう
この骨と肉を私は苦労して育て上げたのに なぜ20歳で眠ってしまうの
(訳:吉井美知子 補訳:鈴木康央)



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Posted by クアン at 22:25│Comments(0)ベトナム歌謡
 
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