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2012年09月29日

基地で作られた謀略ビラ

基地で作られた謀略ビラ

http://www.okinawatimes.co.jp/article_photo/62465/より

↑これ、何だと思いますか。ホーチミンさんの写真があるので、どうもベトナムの紙幣みたいですが、左側に何やら変な文字が刷られています。
よく見ると、こんな文章が書かれています。

Hãy coi chừng một cuộc cải cách tiền tệ nữa.
Các bạn có thể mất tất cả tài sản, công lao mồ hôi nước mắt của bạn.
 
日本語にすると、大体次のような意味になると思います。「通貨の改革に気をつけましょう。あなたの働き、汗、涙の賜物である財産のすべてを、皆さんは失うかもしれません」。

「あなた方は財産を失くすかもしれない」と書かれた紙幣(らしきもの)。
なんとも不思議な代物ですが、実は1970年前後に沖縄で作られたものです。

9月23日の沖縄タイムスに、こんな見出しが出ていました。
「謀略ビラ 私たちが作った ベトナム戦争時 元従業員3人証言」。

「ベトナム戦争時、沖縄に常駐していた米陸軍第7心理作戦部隊の工場で働いていた元基地従業員3人が22日までに、北ベトナム社会を混乱させる目的で散布していた謀略ビラを『私たちが作っていた』と沖縄タイムス社に証言した」というのです。
その謀略ビラの中に、紙幣に似せて作られた偽札仕様のものもありました。上の写真は、そのうちの一つです。

10年くらい前に、沖縄平和ネットワークの学習会で、長年基地問題を追い続けてきた新聞記者の方から「牧港補給基地では、北ベトナムの偽札も作られていたようです」という話を聞いたことがあります。
私は印刷屋で仕事をしていることもあって、偽札作りに携わった工員のことが気になりました。
そのような汚い仕事は米兵が中心なのだろうけど、ひょっとしたらウチナーンチュの基地労働者も偽札作りの一端に関わったかもしれない。いつか、どなたかそのことを証言して下さるのではないか。
牧港補給基地での偽札作りの件は、ずっと心の中に引っかかっていました。

それで、このタイムスの記事を見たときには、手が震えました。
3名の証言によると、偽札仕様のビラは北ベトナムの経済を混乱させるのが目的ではなく、住民に拾わせて心理的に動揺させるのが目的だったようです。
写真のビラは、「みなさんは北ベトナム政府を信じて命がけで戦っているかもしれないが、政府の気まぐれな政策一つで、みなさんの財産など紙切れになってしまうかもしれないよ」という、政府への不信感を与えることを狙ったものだと思います。

大城良信さんは、次のような証言をされています。
「牧港補給地区の米陸軍第7心理作戦部隊に入ったのは1968年。謀略ビラを作る205号ビルの製本部で働いた。印刷部で刷り上がった大ゲラを裁断し、1枚ずつビラを段ボールに詰めるのが仕事だった。その箱がそのまま米軍機にセットされ、戦場で空中散布されるんだ」
「当初、謀略ビラは文字だけのものが多かった。ベトナム語で何か書かれていたが、純粋に『戦争終結のためになる』と思っていた」
「しかし、途中から偽札仕様のビラが増えてくる。米軍が、戦場で何をしているのかが見えてくるんだ。さらに、全軍労に入って学ぶうちに『戦争の片棒を、僕らは完全に担いでいるじゃないか』と、痛感するようになった」
「73年、作業中に偽札仕様のビラをポケットに入れて持ち出し、匿名で全軍労に告発した」
「今も、僕はベトナムのニュースが気になる。政治、経済、社会、どんな報道であっても。これはあの時代、基地で働いたウチナーンチュに共通する思いではないだろうか」
「ベトナム人から見れば、米国も沖縄も同じ加害者。申し訳ない、という気持ちが消えることはない」

沖縄がベトナム戦争の出撃・兵站基地として使われたことはよく知られていますが、基地の中で何が行われたのか、まだよくわかっていないこともいろいろあるのでしょう。
最近いろいろな証言が出てきている沖縄の枯れ葉剤もその一つです。
枯れ葉剤問題については、ジョン・ミッチェルさんやQABの方たちなどが、実態を明らかにするべく地道な取材を続けています。
沖縄でベトナムと関わってきた者として、私たちも関心を持っていきたいと思います。


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