手紙の翻訳が終わりました
先月、奨学生たちの手紙が60通ほどまとめて届きました。
平日の夜や週末に少しずつ日本語訳をして、先週末までになんとか終わりました。
わからない部分は、留学生に教えてもらいました。翻訳は大変な仕事ですが、いい勉強になります。
生徒たちにとっては、(ほとんどの場合)会ったこともない外国の大人に向けて手紙を書くわけで、「何を書いたらいいのか、わからない」というのが正直なところだと思います。
ですから、多くの手紙は「わたしは奨学金を受け取りました。本当にありがとうございます。このご支援を無駄にしないように、いっしょうけんめいに勉強することをお約束します」という、お決まりの内容です。
私としては残念ですが、まあ仕方ないのかなあ、とも思います。
しかし、お決まりの内容だけではなく、自分の気持ちを切々と綴ってくれる子もいます。
奨学生の中には、お父さん、お母さんのどちらか、または両方がいない子も少なくありません。
幼いころに(または最近)別れてしまったお母さんやお父さんへの思いが綴られた手紙は、訳していても辛い気持ちになります。
でも、こうして文章にすることで、少しでも明るい気持ちになれるきっかけになったら嬉しいのですが…。
「里子」からの手紙を受け取って、返事を書いて下さる会員の方もいます。
Hさんの手紙を受け取った高校生のソンくんは、「ぼくはもう、子どものように泣く年齢ではありません。でも、お手紙をいただいて、ぼくは泣いてしまいました。それは、過ちを後悔する涙ではなく、ましてや叩かれた痛みの涙でもない。遠くにいる親しい方に見守られていることを知った、喜びの涙です」と書いてくれました。
彼の場合、家庭の事情で小さな頃から養父母に育てられていて、揺れる思いを抱えながら勉強にがんばっています。Hさんが手紙を書いて下さったことは、とても大きな励ましになったと思います。
とてもささやかなつながりではありますが、このような結びつきの橋渡しになれるのは、事務局をやっていて何よりも嬉しいことです。
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