QAB(琉球朝日放送)の記者の方から、9日夕方のニュースで沖縄の枯葉剤問題の特集を取り上げることを教えていただきました。
その時間、私は外出していてテレビを見られなかったのですが、あとでインターネットで見ました。
とてもわかりやすく、的確にまとめられていると思います。こちらで見ることができます。
http://www.qab.co.jp/news/2011080930040.html
私たちは、2008年の10月に、『「枯葉剤」を考える~ベトナムで 沖縄で 何か行われたのか~』と題した小さなブックレットを作りました(素人が作った、不十分なものではありますが…)。
ブックレットの「はじめに」の部分と、本文の最後の部分を、転載します。
はじめに
2007年7月9日、「北部訓練場で枯葉剤散布」というニュースが報じられました。
「1961年から62年にかけて、沖縄本島の北部訓練場などで米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を散布。作業に当たった元米兵が、前立腺ガンなどの後遺症を米退役軍人省から認定されていた」ことが、アメリカの公文書で明らかになったという内容でした。
琉球新報・沖縄タイムス両紙とも夕刊の1面トップという大きな扱いだったので、記事をご覧になった方も多いと思います。
でも、改めて考えてみると、「枯葉剤」とは、一体どのようなものなのでしょうか。そして、現在はどのような影響が残っているのでしょうか。
私たち「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会」は、1994年から、ベトナムの貧困家庭の生徒たちにささやかな学費援助を続けています。
私たちの支援する奨学生の約半数は、ホーチミン市の南東に位置するカンザーという地域で暮らしています。
マングローブの湿地帯の中に7つの村が点在しており、住民は沿岸漁業や塩づくり、エビの養殖、ニッパヤシの栽培などで生計を立てています。
1998年に初めてカンザーを訪ねたとき、でこぼこ道の両側に続くマングローブの広大な森に圧倒されました。
ところが、この地域の2万ヘクタールを超える広大なマングローブの森は、すべて住民の手によって植林されたのだと聞かされ、さらに驚きました。
もともと存在した森は、1960年代に米軍が散布した枯葉剤のために全滅。現在の森は、1978年以降、カマウ岬から種子を運んで、住民が一本一本植えて蘇らせたものだというのです。
2万ヘクタールというと、沖縄本島北部のヤンバルの森に匹敵するような広さです。
私たちは、カンザーの人たちの地道な営みに感動すると同時に、とても複雑な想いも抱かされました。
ベトナムで使われた枯葉剤は、私たちの暮らす沖縄の基地から運ばれていたのではないか、という噂を聞いていたからです。
「沖縄でも枯葉剤が集積・使用されていた」という新聞記事を目にして、「やはりそうだったのか」と思いました。
そして、この機会に枯葉剤について改めて勉強してみようということになりました。
これまで何度かベトナムを訪ねる中で目にしたことや、何かの折りに集めた資料などを整理して、2007年8月の定例ミーティングで「枯葉剤」についての勉強会を行いました。
そのときに痛感したのは、私たち自身、枯葉剤についていかに知らなかったか、ということでした。
北部訓練場での枯葉剤使用について報道されたあと、日本政府はアメリカに事実関係を照会、米側は「沖縄での枯葉剤使用を裏付ける証拠を有していない」と回答したそうです。
日本政府は、「この問題はこれで決着した。北部訓練場内の環境調査を米軍に求める予定はない」という立場を表明しています。
しかし、県民の生命や健康に関わる問題について、こんなに簡単に「決着した」と言ってしまってよいのでしょうか。
問題がなければそれに越したことはないのですが、いまひとつ釈然としない気持ちが残ります。
専門家でもなく、特別な情報も持たない私たちにできることは限られていますが、沖縄でベトナムと関わっているグループとして、もう少しこの問題にこだわってみよう、そのような思いもあって、2007年11月の「うないフェスティバル」と2008年5月の「第2回うないフォーラム」のさいに、元高校教諭(化学担当)の伊波義安先生に講師をお願いして、枯葉剤についての学習会を企画しました。
そして、これまでの学習をもとにして、枯葉剤に関する小さなブックレットを作ることを思い立ちました。
たいへん不十分なものですが、沖縄でも使用されていたという「枯葉剤」について考える上で、多少ともお役に立てば嬉しく思います。
思い違いや事実誤認などもあるかもしれませんので、お気づきの点がありましたら、ご指摘下さると幸いです。
(以下、本文の最後の部分)
1960年代に沖縄の米軍基地で枯葉剤の集積が行われていたこと、そしてベトナムに運ばれていったことは、ほぼ間違いないでしょう。
私たち(青葉奨学会沖縄委員会)が支援する生徒たちが暮らすカンザーなどの地域で、かつて大量に散布された枯葉剤は、やはり沖縄から運ばれていた可能性が高い、と考えざるをえません。
また、1961年から62年にかけて北部訓練場で相当量の枯葉剤散布が行われたことも、ほぼ確実でしょう。
が、それ以上の事実になると、残念ながらほとんど手がかりがないのです。
北部訓練場のあるヤンバルの森は、世界的にも貴重な生物の宝庫であると同時に、県民の水がめの森でもあります。
何よりも大切なことは、いつ、どこで、どのように枯葉剤が貯蔵され、使用されたのか、その実態を明らかにすることではないでしょうか。
日本政府は、それを徹底的に調査し、県民に対して明らかにする責任があると思います。
(転載ここまで)
今回のジョン・ミッチェルさんの講演をきっかけにして、沖縄の枯葉剤問題が改めて注目を集めました。
どうやら、北部訓練場だけでなく、沖縄の多くの基地で枯葉剤が保管・使用され、ここからベトナムに運ばれていたらしいことが明らかになってきました。
しかし、アメリカは沖縄での枯葉剤の存在について否定したままですし、まだまだわからない部分がたくさんあります。
一時的な注目で終わらせるのでなく、実態の解明に向けて、少しずつでも進んでいきたいものです