「1969年に、枯葉剤の入った大量のドラム缶を北谷町で埋めた」という元米兵の証言が、波紋を広げています。
QAB(琉球朝日放送)の14日の報道を転載します。
ベトナム戦争で使われたダイオキシンを含む枯れ葉剤が北谷町に埋められていた可能性があることがわかりました。
これはフリージャーナリストのジョン・ミッチェルさんが沖縄に駐留していた元アメリカ軍人を取材し、13日づけのジャパンタイムスで報じたものです。
元アメリカ軍人の証言によると1969年、補給船が座礁した際、船に積み込まれていた枯れ葉剤とみられる大量のドラム缶が回収され、北谷町に大きな穴を掘って埋めたということです。
また、これ以外にも船の座礁事故やドラム缶の処理作業について証言している男性がいるということです。アメリカ政府は、これまで、沖縄における枯れ葉剤の存在を否定しています。
(転載ここまで)
ジャパンタイムズの記事(英語)は、ここにあります。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20110813a1.html
日本語訳してみようと思ったのですが、私は英語が本当に苦手なので、めちゃくちゃ長い時間がかかってしまいそうです。
沖縄の多くの基地で枯葉剤が使われたことはほぼ間違いないだろうと思っていましたが、「北谷に埋めた」という証言には、正直驚きました。
10日のブログで、私は次のように書きました。
「枯葉剤が使われていたのは、1960年代から70年代初め。今から40年以上前のことです。亜熱帯の沖縄では、しばしば激しい雨が降り、土壌が流出します。除草のために何度か枯葉剤を使った場所で、いまも土壌からダイオキシンなどが検出される、というのは考えにくいことです。
ベトナムでも、枯葉剤が撒かれた場所の多くでは、現在では高濃度のダイオキシンなどは検出されないようです。いまも枯葉剤の汚染が残っているホットスポットは、①枯葉剤が貯蔵され、積み込みの作業などで毎日のように漏れ出していた場所。つまりかつての米軍基地。ダナン、ビエンホアなど。②なんらかの事情で、きわめて大量の枯葉剤が捨てられた場所。などということになっているようです。
沖縄の場合も、枯葉剤使用による汚染が広範囲で残っている、ということは考えにくいです。ただし、枯葉剤がどのように扱われていたかによりますが、局地的にホットスポットが存在する可能性はあると思います。」
今回問題になっている北谷の例は、もし証言が確かなものだとすれば、「②なんらかの事情で、きわめて大量の枯葉剤が捨てられた場所」にあたり、ベトナムのホットスポットと同じように、枯葉剤による環境汚染が続いている可能性があります。
沖縄の枯葉剤問題、私が思っていたよりも、ずっと深刻なのかもしれません。
今日は、北谷町長が国と県に対して事実関係の調査を要求したそうです。
もう一度、QABの報道(17日)を転載します(すみません…)。
元アメリカ軍人がベトナム戦争当時にダイオキシンを含む枯れ葉剤を、北谷町に埋めたと証言しているのを受け、北谷町の野国町長が8月17日、国と県に対して事実関係の調査を求めました。
これは8月13日、英字新聞ジャパンタイムズが報じたもので、1969年、アメリカ軍の補給船が座礁した際、破損して回収された枯れ葉剤の容器を北谷町に埋めたという元軍人の証言が掲載されています。
外務省沖縄事務所を訪ねた野国町長は、「町民の不安を払しょくするためにも、アメリカ軍やアメリカ政府に対し、事実確認をしてほしい」と求めました。
これに対して伊従誠副所長は、松本外務大臣がアメリカに事実関係を確認していると述べ、「なるべく早く回答を得られるようにしたい」と答えました。
野国町長は、「跡地を抱える市町村として、皆同じでしょうけど、いわゆる使用の履歴というようなことを明らかにするようにと、しておりますけれども、なかなかそういったことが米軍から明らかにされていないと。実際に使った側から、きちんと証明してもらわないといけない」と話しました。
この後、野国町長は、県に対しても同様の要請を行い、対応した又吉知事公室長は、「少しでも疑念があれば住民の不安につながることですので、直ちに県としては政府に事実関係の確認を求めたということであります」と答えました。
野国町長は県内にもこの作業に携わった人がいないか情報を求めています。
(転載ここまで)
真相を明らかにさせるよう、野国町長や北谷町民を、多くの県民でバックアップしていきましょう。