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2010年01月10日

カンザーから見えてくるもの

合同写真展「生物多様性ってなあに?」の展示説明文を書きました。
つたない文章ですが、せっかくなので、ブログでも紹介します。

カンザーから見えてくるもの

人口800万人、ベトナム最大の都市ホーチミン市。その中心部を流れるサイゴン川を数十キロほど下ると、河口デルタ地帯に大きなマングローブの森が広がっています。その一帯が、カンザーという地域です。マングローブの湿地帯の中に1つの町と6つの村が点在、6万人弱の人々が暮らしています。ホーチミン市周辺では最も経済的に貧しい場所といわれており、青葉奨学会沖縄委員会のおもな支援先もこの地域です。
私たちが初めてカンザーを訪ねたのは、1990年代の後半のことです。どこまでも続くマングローブの森に感動しましたが、「ここの森は、天然の森ではありません。戦争後に住民が植林して蘇らせたものです」と聞かされ、とても驚きました。いろいろと調べてみると、カンザーの森と人々がたどった歴史、現在直面している問題には、沖縄の米軍基地や私たちの暮らしも深く関わっているということが、見えてきました。

枯葉剤散布により森が全滅
ベトナム戦争の時代、ゲリラの根強い抵抗に苦しめられていた米軍は、大量の枯葉剤を散布しました。1960年から70年にかけて、9000万リットルもの枯葉剤を散布、これによって、南ベトナムの熱帯雨林の約2割、マングローブ林の約4割、耕地の約1割が破壊されました。また、最も多く使われたオレンジ剤には、かなりの濃度のダイオキシンが不純物として含まれており、その影響とみられる障がいによって、現在も多くの人たちが苦しんでいます。
カンザーもゲリラ活動の盛んな地域だったため、多くの枯葉剤が散布されました。1965年から70年にかけて、299回もの散布が行われ、4万ヘクタールもあったマングローブの森がほぼ全滅してしまいました。

カンザーから見えてくるもの

植林による森の蘇生
ベトナム戦争は1975年に終結しましたが、長く続いた戦火によって、ベトナムの人々、国土は深く傷ついていました。社会の混乱や経済危機が続く厳しい状況の中、人々は国土の復興への歩みを進めました。
カンザーでは、1978年から、住民と行政が協力して植林を始めました。カンザーのマングローブはほぼ全滅してしまったため、300キロほど離れたカマウ岬から種子を運び、1本1本手で植えていったということです。当初は植えた種子の多くが枯れてしまったようですが、地道な努力によって次第に根付いていき、もともとあった森の面積の4分の3にあたる約3万ヘクタールの森が蘇りました。再生した森の一部は森林公園になり、自然や歴史を学ぶための宿泊施設も作られました。カンザーの森は、2000年にはユネスコの生物圏保護地区にも指定され、生態系再生の成功例として世界的にも注目されるようになりました。

カンザーから見えてくるもの

人々の暮らし
河口デルタ地帯のカンザーは、農業にはあまり適さない土地です。内陸部のビンカン村では小規模な稲作も行われていますが、収量は少なく、害虫や旱魃のために収穫がまったくない年もあるそうです。
カンザーの多くの人たちは、沿岸漁業やカニ・貝採り、塩作り、ニッパヤシの栽培などで生計を立てています。ニッパヤシの葉は屋根や壁の材料、実は食用としても用いられます。ロンホア村の海岸では、満潮時には網を使って漁をおこない、干潮時には多くの人が沖に出て貝を採る光景が見られます。近年は、アントイドン村やタムトンヒエップ村などを中心に、エビの養殖も盛んになっています。

カンザーから見えてくるもの

カンザーから見えてくるもの

エビ養殖とマングローブ
1980年代以降、ベトナムの沿岸地方では、エビの養殖が盛んに行われるようになりました。塩作りや稲作と比べると、エビ養殖は何倍もの高収入が期待できるのです。反面、養殖池の造成のためにマングローブの森が伐採され、自然破壊につながっている、という批判もあります。
ベトナムのマングローブ林の面積は、ある調査によれば、1980年に約25万ヘクタールあったものが、2000年には約10万ヘクタールに減少しています。伐採された土地の大半は、エビ養殖池に転用された、ということです。同じ時期、ベトナムの養殖エビの生産量は8000トンから32万トンに40倍も増えています。戦争中の枯葉剤と同じような規模の森林破壊が、戦後はエビ養殖のために行われていました。
現在、日本は年間約20万トンのエビを輸入していますが、最大の輸入先はベトナムです。私たちの食生活と、ベトナムの沿岸で起きている変化が、さまざまな形でつながっているのかも知れません。

環境汚染や観光開発
1990年代終わり頃から、カンザー周辺の海域で魚が減って、漁民の生活がとても苦しくなっている、という話を聞いていました。カンザー周辺の川や海の汚染が進んでいて、とりわけドンナイ省を流れるティヴァイ川の汚染がきわだっている、ということでした。その後の調査で、ティヴァイ川の流域にあるVEDAN社(台湾系の化学調味料の会社)のドンナイ工場が、未処理の排水を10年以上にわたって垂れ流していたことが発覚、大きな問題になりました。現在、ドンナイやカンザーの漁民・農民たちが、補償を求めてVEDAN社を訴えています。

カンザーから見えてくるもの

ティヴァイ川以外でも、都市化や工業化の進展にともなって、川や海の汚染が進んでいます。また、カンザーの森や海岸は、ホーチミン市民の週末の行楽地としても脚光を浴びるようになり、ホテルやレストランの建設、道路の拡張などが行われています。急速な開発によって、マングローブの森が危機的な状況にある、と指摘する研究者もいます。

タンアン村の集団移住計画
2006年12月、ベトナム南部の沿岸部を強い台風が襲い、100名近くが死亡、約20万棟が全壊したり屋根が飛ばされるという甚大な被害が出ました。カンザーでも、海に面した村で大きな被害があり、とくに離島にあるタンアン村ではほとんどの住民が被災しました。
ベトナム南部は、もともと台風は滅多に来ないそうです。しかし、近年は暴風や高潮などの被害がときどき発生するようになりました。最近の地球温暖化や気候変動と関係があるのでは、という見方もあります。
今後、強い台風に見舞われた場合、逃げ場のないタンアンでは大変な被害が予想されます。そのため、行政の指導もあり、タンアン村の5000名近い住民は、近い将来、内陸部のカンタン町の一角に移住することになっているそうです。環境の変化によって、奨学生たちの暮らす村が消えていく、そのことに複雑な思いを抱かざるを得ません。


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