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2010年02月08日

アレン・ネルソン奨学金の報告(その3)奨学生の家

奨学金支給式は無事に終わりましたが、式典に出るだけでは、奨学生たちの生活や勉強の様子はよくわかりません。
終了後、タン先生にお願いして、生徒の1人と迎えに来たお父さんに、家を訪ねさせてほしいと話してもらいました。
生徒とお父さんは少し戸惑った様子でしたが、快く了解してくれました。
タムキー市内のゴクエン小学校3年生の、グエン・ミン・チョンくんという男の子です。

タムキー市は人口10万人あまりの小さな都市ですが、クアンナム省の省都、つまり日本で言えば県庁所在地ということになります。
中心部の目抜き通りのあたりは、役所をはじめ、大きな建物が立ち並んでいます。比較的新しい建物が多く見受けられ、静かでこぎれいな感じの街です。
しかし、中心部から車で5分も行くと、昔ながらの農村という雰囲気が残っています。チョンくんの家も、そのような場所にありました。

チョンくんは、一度家に戻ったあと、自転車で表通りまで出てきてくれました。
私たちの車は、彼の後をついていきましたが、途中から道が狭くなったので、車を降りて歩くことにしました。
こんな感じの道を、しばらく歩いていきます。

アレン・ネルソン奨学金の報告(その3)奨学生の家

チョンくんの家に着くと、お父さん、お母さん、おばあさんが迎えてくれました。

アレン・ネルソン奨学金の報告(その3)奨学生の家

昼食時なので、チョンくんは茶碗を持ったままですね。

アレン・ネルソン奨学金の報告(その3)奨学生の家

アレン・ネルソン奨学金の報告(その3)奨学生の家

アレン・ネルソン奨学金の報告(その3)奨学生の家

アレン・ネルソン奨学金の報告(その3)奨学生の家

チョンくんの家の様子に、昔の沖縄を思い出される方も多いのでは…。

アレン・ネルソン奨学金の報告(その3)奨学生の家

お母さんが、里芋からでんぷんを採ったあと、豚のエサにするために干しているそうです。

アレン・ネルソン奨学金の報告(その3)奨学生の家

チョンくんのお兄さん。絵を描くのが好きな、聡明そうな男の子です。

チョンくんの両親は米を作っているそうですが、昨年9月末の台風ケッツァーナの被害を受けて、ほとんど収穫がなかったそうです。
私が見た感じでは、チョンくんの家は平均的なベトナムの農家という印象で、極端に貧しいということではないと思いますが、大きな自然災害のあとということもあって、現在の生活は本当に厳しいようです。
お母さんは「これ以上生活が苦しくなれば、都会に出稼ぎに行かないと、子どもたちに勉強させられないかも…」と話していました。
アレン・ネルソン奨学金が、家族の苦労を軽くするため、いくらかは役に立つでしょうか。

午後の授業のためチョンくんが学校に行くということなので、私たちもお礼を言って失礼することにしました。学校までは、自転車でかなりの道のりだと思います。車にはくれぐれも気をつけてね…。

アレン・ネルソン奨学金の報告(その3)奨学生の家

チョンくんの家を訪ねさせてもらって、アレン・ネルソン奨学金の対象になっている生徒の暮らしぶりを、ほんの一端ですが理解することができました。
奨学生の選定などは、クアンナム省やタムキー市の学習奨励会に一任するしかありませんが、とりあえずは良心的な選定が行われているのでは、と思いました。

もちろん、省都のタムキーから離れた山間部などでは、もっと厳しい状況があると思われるので、来年以降どのような生徒たちを対象にするかは、考える余地はあるかもしれません。
ともかくも、これからアレン・ネルソン奨学金を続けていくにあたって、現地の担当者の方々を信頼して進めていける、という手ごたえは感じました。

それにしても、年々きらびやかになっていく大都市の様子と、農村部の状況との格差は、ますます広がっているように思えます。このベトナムの現状に、複雑な思いです。


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