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2010年03月07日

ベトナム歌謡の夕べ報告(1)

2月25日、沖縄NGOセンター事務所で行った「ベトナム歌謡の夕べ」、おかげさまで無事に成功しました。
何名ぐらい来てくれるのか、少々不安でしたが、思いがけず10名以上が参加してくれました。「ベトナムの歌を聴いてみたい」「歌を通して平和のことを考えてみたい」という方もいれば、「誰も来てないんじゃないかと心配で駆けつけました」という方もいました。ベトナム人の留学生も、2人来てくれました。ありがとうございます。

前半は、歌を通して第二次大戦後のベトナムの歴史をたどってみようということで、まず、ヴァン・カオの「Lang toi(わたしの村)」という歌を紹介しました。1950年ごろの歌です。
「笑っていいとも」にも出演したことがあるアイドルグループ、タム・カ・アオ・チャンがこの歌をうたっているDVDを見ながら、「この歌の歌詞はどんな内容でしょう」と質問してみました。
のびやかな曲調に、「農村に生きる女性の気持ちをうたった歌では?」という答えがありました。しかし、曲調とは裏腹に、実はフランスとの戦争をうたった、すさまじい内容の抗戦歌です。1950年ごろといえば、日本では戦争は終わっていたわけですが、ベトナムは再植民地化をもくろむフランスとの戦いを強いられていました。歌詞を紹介すると、曲調と歌詞のアンバランスに、みなさん驚いていました。

青い竹垣に囲まれたわたしの村。午後の時を告げる教会の鐘。川面に映えるビンロウジュの木陰を、小舟がそっと横切っていく。しかし、そんなのどかな村の面影は、侵略者フランス軍がやってきた日に失われてしまった。道には骨と血が散乱し、家も耕地も荒れ果ててしまった。
村人たちはゲリラに加わり、フランス軍から銃を奪います。ジャングルの中で、故郷の夕暮れ時の畑を思い起こす。望郷の思いは、いまも疼いている。
やがて村人たちはフランス軍を破って村に戻ります。教会の鐘の響きも帰ってきます。しかし、敵はまだ滅びてはいない。村人たちは橋を壊し、トンネルを掘って守りを固めます。わたしの村は、明日を迎えるのです。



作者のヴァン・カオは、ロマンチックな美しい歌を作った人ですが、1940年代半ばに独立運動に加わりました。日本軍との戦いの中でヴァン・カオが作った「Tien Quan Ca(進軍歌)」は、ホーチミンによってベトナム民主共和国の国歌に選ばれました。

次に、ほぼ同じ頃に作られた歌で、ヴァン・カオの親友であったファム・ズイの「Ba me Gio Linh(ゾーリンのお母さん)」を紹介しました。
Gio Linh(ゾーリン)とはベトナム中部にある貧しい地域で、フランスへの抵抗運動が盛んだった場所です。
抗仏戦争に参加した母子の話で、ゲリラに加わった息子はフランス軍に捕らえられ、街の市場に引き出されて首を切られてしまいます。それを聞いた母は、布を持って息子の首を取りにいきます。その帰り道、遠くで鳴り響くお寺の鐘の音を聞きながら、母は息子の首を見つめます。息子の唇は独立の旗のように赤く染まり(この部分は別の歌詞もあるようですが)、表情は悠然と微笑みを浮かべて、2つの目は母をじっと見つめている、そんな内容です。
日本でも戦争をうたった歌はたくさんありますが、これほど生々しく激しい歌詞は、まずないのではないでしょか。歌詞の意味を紹介しながら曲を聴いてもらうと、参加者の皆さんもとても驚いていました。ただ、曲調はあくまでも静かで、悲しみと同胞へのいたわりの気持ちに溢れています。
この歌が実話なのかフィクションなのか確かめるために、あるジャーナリストがゾーリンを訪ねて取材したところ、100名もの女性たちが「私がこの歌のモデルですよ」と名乗り出た、ということです。



それから数年後の1954年、ベトナムの根強い抵抗によってついにフランス軍は降伏し、和平協定が結ばれます。あまりにも問題の多い協定だったわけですが、とりあえず戦争は終わり、兵隊たちは故郷の村に帰っていきました。この年、ファム・ズイは「Ngay tro ve(帰る日)」という名曲を作りました。
傷ついた兵隊が、足を引きずりながら故郷の道を歩いていきます。年老いた母は、手探りで池の前に出て、夢にまで見た息子の着物にすがりつきます。でも、長く待ち続けたために、目が衰えてしまって息子の顔を見ることはできません。楽しげな台所で、彼は戦地の話を聞かせます。夕方、外に出てみると、おぼろげな光の中、田畑の荒れ果てた様子に声も出ません。翌日から、彼は足を引きずって耕します。彼を慕う水牛も一生懸命に手伝ってくれる、稲やとうもろこしも一緒に楽しく歌い出す、風は涼しく月もきれいだ。平和を取り戻した喜びの光景がうたわれます。
しかし、長い戦争のために失われてしまったものも、あまりにも多いのです。明け方の畑の上を、悲しげな歌声が通り過ぎていきます。誰のことを思い出しているの?幸せだった家族が、どうしてばらばらになってしまったの? でも、もう怒らないで。悲しむのはやめて。故郷の至る所に春が戻ってきたのだから。新しい出会いがあり、傷ついた兵隊さんは優しいお嫁さんをもらいます。仕事が片付いたら、一緒に勉強をしましょう。仲睦まじい2人が、これから始まる(はずの)平和な時代に、確かな人生を歩み出します。

せつない曲調のうちにも、しみじみとした喜びが感じられる、素晴らしい曲だと思います。ベトナムの人々の平和への切ない願いを、少しですが感じられるような気がします。



しかし、この歌が生まれてから10年後、ベトナムではまたも泥沼の戦争が始まっていました。そのころにベトナムの人々の心をとらえたのが、チン・コン・ソンの歌とカイン・リーの歌声です。
続きは、また時間のあるときに書きます。

なお、ここで紹介した歌の内容は、ベトナム語の歌詞を私が読み間違えている可能性もあります(大意は間違えていないつもりですが…)。ご了承下さい。


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Posted by クアン at 00:03│Comments(0)ベトナム歌謡
 
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