
2010年05月01日
サイゴン解放35年
日本は大型連休の最中ですが、ベトナムもこの時期は連休になります。
4月30日がサイゴン解放記念日、5月1日がメーデーです。明日は日曜日ですから3連休。もう1日休んで4連休というところも多いようです。
ベトナムでも経済的に多少の余裕のある人たちが増えてきているので、旅行が人気を集めています。古都フエやホイアン、中部高原のダラットやバンメトート、海辺のニャチャンやムイネー、ハロン湾などは、ベトナム人の旅行客でかなり賑わっているかもしれません。近隣諸国への海外旅行も増えているようです。
青葉奨学生の場合は経済的に厳しい家庭の子がほとんどなので、遠くへの旅行というわけには、なかなかいかないと思います。でも、5月末に控えている学年末試験を前にして、くつろいだひとときを過ごしていることでしょう。
4月30日のサイゴン解放記念日には、今年もホーチミン市でさまざまな行事が行われたようです。
今回は、35回目の記念日ということになります。2005年の30周年には盛大な行事が行われて、日本でもかなり報道されましたが、今年は日本での報道はほとんどなかったように思います。
高齢化の進む日本とは違い、ベトナムは若い世代の多い国です。数年前に、「ベトナム戦争が終わった1975年以後に生まれた人が人口の過半数に達した」と聞きました。現在では、おそらく6割を超えているかもしれません。小学生たちの両親も、1975年以後に生まれた人が多くなっていることでしょう。
ただ、考えてみると、ベトナムの人たちが1975年以後にすぐに平和を手にしたわけではありません。
1978年のベトナムのカンボジア侵攻、1979年の中越戦争など、厳しい時代が続きました。私と同じ40代後半の人たちの場合、子どもの頃にベトナム戦争があり、20歳前後には徴兵されてカンボジアの戦場に送られたわけです。
あるとき、顔見知りのタクシー運転手が「カンボジアでの戦争で、とても多くの友人が命を落とした。でも、戦場に行かないことは許されなかった」と話してくれました。
ベトナムの人たちが平和を享受できるようになったのは、ベトナム戦争が終わった1975年ではなく、カンボジアからの撤兵が完了した1989年前後だと考えたほうがよいと思います。
先日、数名のベトナム人留学生と一緒に飲む機会があり、前回のブログに載せた「アレン・ネルソン奨学金」についての新聞記事を紹介しました。すると、何人かが真剣な議論を始めました。ベトナム語で、しかもかなり早口で話していたので、私にはほとんど聞き取れなかったのですが、ある学生は「ベトナムだってカンボジアの人たちを殺したでしょう?」と言い、別の学生は「あれは侵略ではないでしょう?」と反論しているようでした。私の聞き取りが間違っているかもしれないのですが(今度改めて確認したいと思います)、微妙な問題について、とても率直な意見が交わされていることに少し驚きました。
1989年から考えても、20年以上が過ぎました。戦争や平和の問題について、ベトナムの若い人たちの間で多様な見方が生まれている一端を、目にしたように思います。
4月30日がサイゴン解放記念日、5月1日がメーデーです。明日は日曜日ですから3連休。もう1日休んで4連休というところも多いようです。
ベトナムでも経済的に多少の余裕のある人たちが増えてきているので、旅行が人気を集めています。古都フエやホイアン、中部高原のダラットやバンメトート、海辺のニャチャンやムイネー、ハロン湾などは、ベトナム人の旅行客でかなり賑わっているかもしれません。近隣諸国への海外旅行も増えているようです。
青葉奨学生の場合は経済的に厳しい家庭の子がほとんどなので、遠くへの旅行というわけには、なかなかいかないと思います。でも、5月末に控えている学年末試験を前にして、くつろいだひとときを過ごしていることでしょう。
4月30日のサイゴン解放記念日には、今年もホーチミン市でさまざまな行事が行われたようです。
今回は、35回目の記念日ということになります。2005年の30周年には盛大な行事が行われて、日本でもかなり報道されましたが、今年は日本での報道はほとんどなかったように思います。
高齢化の進む日本とは違い、ベトナムは若い世代の多い国です。数年前に、「ベトナム戦争が終わった1975年以後に生まれた人が人口の過半数に達した」と聞きました。現在では、おそらく6割を超えているかもしれません。小学生たちの両親も、1975年以後に生まれた人が多くなっていることでしょう。
ただ、考えてみると、ベトナムの人たちが1975年以後にすぐに平和を手にしたわけではありません。
1978年のベトナムのカンボジア侵攻、1979年の中越戦争など、厳しい時代が続きました。私と同じ40代後半の人たちの場合、子どもの頃にベトナム戦争があり、20歳前後には徴兵されてカンボジアの戦場に送られたわけです。
あるとき、顔見知りのタクシー運転手が「カンボジアでの戦争で、とても多くの友人が命を落とした。でも、戦場に行かないことは許されなかった」と話してくれました。
ベトナムの人たちが平和を享受できるようになったのは、ベトナム戦争が終わった1975年ではなく、カンボジアからの撤兵が完了した1989年前後だと考えたほうがよいと思います。
先日、数名のベトナム人留学生と一緒に飲む機会があり、前回のブログに載せた「アレン・ネルソン奨学金」についての新聞記事を紹介しました。すると、何人かが真剣な議論を始めました。ベトナム語で、しかもかなり早口で話していたので、私にはほとんど聞き取れなかったのですが、ある学生は「ベトナムだってカンボジアの人たちを殺したでしょう?」と言い、別の学生は「あれは侵略ではないでしょう?」と反論しているようでした。私の聞き取りが間違っているかもしれないのですが(今度改めて確認したいと思います)、微妙な問題について、とても率直な意見が交わされていることに少し驚きました。
1989年から考えても、20年以上が過ぎました。戦争や平和の問題について、ベトナムの若い人たちの間で多様な見方が生まれている一端を、目にしたように思います。
Posted by クアン at 23:11│Comments(0)