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2010年09月25日

昔は「東京」、いまは「河内」

江戸が「東京」と改称されたのは、1868年のこと。
でもそれよりも400年以上も前の15世紀前半、東南アジアに「東京」と呼ばれる街がありました。その頃、東京(江戸)は、まだ海沿いの原野だったかもしれません。
かつて「東京」と呼ばれていた街とは、どこでしょうか。

答えは、ベトナムの首都ハノイです。

「東京」は、「トウキョウ」ではなく、「ドンキン」と読みます。
ハノイの名前は、歴史の中で何度も変わってきました。「大羅(ダイラ)」「昇龍(タンロン)」「東都(ドンド)」など。
1427年に、明と戦って独立を取り戻したレロイが、この都市を「東京(ドンキン)」と名付けました。
当時はベトナムでも漢字を使っていたので、実際に「東京」と書いていたはずです。

その後、日本の江戸が「東京」に変わる少し前の1831年、ベトナムではグエン朝のミンマン帝の時代に、この街が「河内」と呼ばれるようになったそうです。
「河内」は「かわち」と読みたくなりますが、ベトナムの読み方では「ハノイ」です。

ハノイは紅河という大きな川のほとりにあって、街の中にも、ホアンキエム湖や西湖など多くの湖があります。
河の内にある街、ということで、「河内(ハノイ)」になったそうです。
ちなみに、大阪の方に聞いたところ、大阪の河内地方にも大和川という大きな川があって、溜め池などもたくさんあるそうです。ハノイも河内も似た地形なのですね。

ただ、ハノイの古名としては、「東京(ドンキン)」よりも「昇龍(タンロン)」のほうが、ずっと知られています。
正式には「東京」だった時代も、人々の間では「昇龍」のほうが親しまれていた、とも聞きました。

李朝の始祖、李太祖(リタイトー)がここを都に定めたとき、黄色い龍が立ち昇った、という印象深い伝説があるためでしょうか。

ところで、そのハノイ、いま雰囲気がとても盛り上がっているようです。
今年は奈良遷都1300年だそうですが、ハノイは建都1000年の節目の年なのです。
10月10日には、大きなお祭りが行われるそうです。

ハノイの建都祭には、東京都知事も招待されて参加するそうです。
ハノイは、かつて「東京」と呼ばれた、ある意味では「もうひとつの東京」とも言える街。
そのハノイのお祝いに、東京都の知事が参加するのは面白いなあ、と思いかけたのですが、すぐに「げっ!」と思ってしまいました。

考えてみれば、東京都知事ってあの人ですよね…。
なんだかなあ…。



Posted by クアン at 21:14│Comments(0)
 
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