
2011年01月19日
ハイくんとの再会(3)
私たちは、その後小学校を後にして、ハイ君の家に向かいました。
村の集落の裏側に広がっている広大なゴム園の中にしばらく車を走らせ、いよいよゴム園の外れかなと思ったところに、ハイ君の家がありました。

周囲には、ハイ君の家の手前にもう一軒家があるだけで、この2軒だけが集落と随分離れたところにあるのが、とても不思議な感じです。
水道はなくて井戸があり、電気は来ていませんでした。
しかし、家は6年前とは違って、コンクリート作りになっていました。
ちゃんとした玄関戸と窓ガラスがありました。
ベトナム式の板ベット(?)がある部屋と、その裏に小さい部屋が1つあるだけの小さい造りで、行政からの援助と自分たちもいくらかお金を出して建て替えたそうです。
家の周りはゴム園で砂地のような感じでした。
お父さんは宝くじ売りの仕事に出かけていて、今回も会えなくて残念でしたが、お母さんは以前お会いした時よりも元気そうで、私たちをとても喜んで迎えてくださいました。

ハイ君の家にはジャックフルーツの木があって、ちょうど甘く熟した実がなっていました。
人の顔ぐらいある大きな果実で、外側はごつごつとした緑色の皮でおおわれていますが、中はクリーム色の甘い独特の香りのする、やわらかい果実でした。
ハイ君は皮を剥いて食べやすいようにして、手渡ししてくれました。
ジャックフルーツの実を食べながら、私たちはお母さんも交えてたくさんお話をしました。
主に、高校卒業後の進路のことについてでした。
実はハイ君も成績が優秀で、高校で終わるにはもったいないと私は思っています。
本人は大学に行きたいけれど、家庭の状況を考えれば、専門学校に行って先生になろうかと思っていると話していました。
以前と違って、ハイ君はとてもよく話をします。
2年生までは家庭教師などをしていたけれど、3年生になってからは勉強が忙しくなっていること、電気がないので勉強時間に限りがあり、またIT関係にも疎いなどのハンディがあるとのことでした。
ハイ君は高校に自転車通学をしているのですが、家からミンホア村の集落まで出るにもかなり距離がある上に、隣りのミンタイン村にある高校までとなると、往復にだいぶ明るい時間が取られるのだろうなと思いました。
また、現金収入になる豚が、なかなか売れなくて困っている、とも。
お母さんは、大学の試験を受けて合格したら借金をしてでも行かせたいとおっしゃっていました。
高校に行くのでさえもこの村では難しいことなのに、その上大学に進むということにでもなれば、それは快挙に近いことなのかもしれません。
スアン君も成績が優秀ですので、青葉奨学生出身の2人が先達になれば、あのミンホアの子どもたちにとってもそれは希望になることでしょう。
お母さんは、ゴム園の仕事に毎朝(真夜中?)1時に出かけているそうです。
近頃はゴムの値段も上がって景気がいいみたいですが、ゴム園で働いている人たちにもその恩恵がまわってきているのでしょうか?
あまり立ち入ったことは聞くことができませんでしたが、なんとなく以前に比べたら生活も安定しているようで、活気が感じられました。

何よりも、ハイ君がたくましくなって真剣に将来を考え始めていることで、私は安心することができました。
お母さんもハイ君の進学に前向きであることがわかりましたので、あとは見守っていくだけです。
どうか困難を乗り越えて、大学に進んでほしいと思います。
3泊4日の、あっという間のベトナムの旅でした。また必ず何年後かにはミンホアの村を訪ねたいと思っています。
そのときには、一言二言でもいいからベトナム語が話せたらいいなあとつくづく思っています。
言葉を学ぶというのは、同時にその国の文化を学ぶということにもつながると思います。
ぺらぺらになれるなんてことは夢にも思いませんが、言葉を習いながらベトナムの人たちにもう一歩近づきたい、そんな風に思います。
もし同じ気持ちの方がいらっしゃいましたら、一緒に勉強はじめてみませんか?
(毎週金曜日の夜、すぺーす結でベトナム語の勉強会を行っています)
そして数年後一緒に里子に会いに行きましょう!
村の集落の裏側に広がっている広大なゴム園の中にしばらく車を走らせ、いよいよゴム園の外れかなと思ったところに、ハイ君の家がありました。
周囲には、ハイ君の家の手前にもう一軒家があるだけで、この2軒だけが集落と随分離れたところにあるのが、とても不思議な感じです。
水道はなくて井戸があり、電気は来ていませんでした。
しかし、家は6年前とは違って、コンクリート作りになっていました。
ちゃんとした玄関戸と窓ガラスがありました。
ベトナム式の板ベット(?)がある部屋と、その裏に小さい部屋が1つあるだけの小さい造りで、行政からの援助と自分たちもいくらかお金を出して建て替えたそうです。
家の周りはゴム園で砂地のような感じでした。
お父さんは宝くじ売りの仕事に出かけていて、今回も会えなくて残念でしたが、お母さんは以前お会いした時よりも元気そうで、私たちをとても喜んで迎えてくださいました。
ハイ君の家にはジャックフルーツの木があって、ちょうど甘く熟した実がなっていました。
人の顔ぐらいある大きな果実で、外側はごつごつとした緑色の皮でおおわれていますが、中はクリーム色の甘い独特の香りのする、やわらかい果実でした。
ハイ君は皮を剥いて食べやすいようにして、手渡ししてくれました。
ジャックフルーツの実を食べながら、私たちはお母さんも交えてたくさんお話をしました。
主に、高校卒業後の進路のことについてでした。
実はハイ君も成績が優秀で、高校で終わるにはもったいないと私は思っています。
本人は大学に行きたいけれど、家庭の状況を考えれば、専門学校に行って先生になろうかと思っていると話していました。
以前と違って、ハイ君はとてもよく話をします。
2年生までは家庭教師などをしていたけれど、3年生になってからは勉強が忙しくなっていること、電気がないので勉強時間に限りがあり、またIT関係にも疎いなどのハンディがあるとのことでした。
ハイ君は高校に自転車通学をしているのですが、家からミンホア村の集落まで出るにもかなり距離がある上に、隣りのミンタイン村にある高校までとなると、往復にだいぶ明るい時間が取られるのだろうなと思いました。
また、現金収入になる豚が、なかなか売れなくて困っている、とも。
お母さんは、大学の試験を受けて合格したら借金をしてでも行かせたいとおっしゃっていました。
高校に行くのでさえもこの村では難しいことなのに、その上大学に進むということにでもなれば、それは快挙に近いことなのかもしれません。
スアン君も成績が優秀ですので、青葉奨学生出身の2人が先達になれば、あのミンホアの子どもたちにとってもそれは希望になることでしょう。
お母さんは、ゴム園の仕事に毎朝(真夜中?)1時に出かけているそうです。
近頃はゴムの値段も上がって景気がいいみたいですが、ゴム園で働いている人たちにもその恩恵がまわってきているのでしょうか?
あまり立ち入ったことは聞くことができませんでしたが、なんとなく以前に比べたら生活も安定しているようで、活気が感じられました。
何よりも、ハイ君がたくましくなって真剣に将来を考え始めていることで、私は安心することができました。
お母さんもハイ君の進学に前向きであることがわかりましたので、あとは見守っていくだけです。
どうか困難を乗り越えて、大学に進んでほしいと思います。
3泊4日の、あっという間のベトナムの旅でした。また必ず何年後かにはミンホアの村を訪ねたいと思っています。
そのときには、一言二言でもいいからベトナム語が話せたらいいなあとつくづく思っています。
言葉を学ぶというのは、同時にその国の文化を学ぶということにもつながると思います。
ぺらぺらになれるなんてことは夢にも思いませんが、言葉を習いながらベトナムの人たちにもう一歩近づきたい、そんな風に思います。
もし同じ気持ちの方がいらっしゃいましたら、一緒に勉強はじめてみませんか?
(毎週金曜日の夜、すぺーす結でベトナム語の勉強会を行っています)
そして数年後一緒に里子に会いに行きましょう!
Posted by クアン at 21:10│Comments(0)