2010年02月11日
アレン・ネルソン奨学金の報告(その6)クアンナムというところ
ここまで、私が直接見聞きしたことや、出会った人たちについて紹介してきましたが、今回は、かつてアレンさんが駐留した場所であり、「アレン・ネルソン奨学金」の支援先であるクアンナム省やタムキー市について、少し補足説明をしたいと思います。
ちなみに、「省」は、日本でいえば「県」にあたります。

ベトナムは日本と同じように南北に細長い国ですが、クアンナム省はちょうど真ん中あたりに位置しています。
クアンナムのすぐ北には、ベトナム中部で最大の都市、ダナン市(人口約80万人)があります。
クアンナム省の人口は、約150万人。沖縄県よりも少し多いぐらいです。
海岸沿いには小さな平野が広がっていますが、山の多い地形で、2000メートルを越える山もあります。山地には、主に少数民族の人たちが暮らしているようです。おもな産業は農業です。
クアンナム省には、チャンパ王国の聖地・ミーソン遺跡や、交易で栄えた都市・ホイアンという、2つの世界遺産があります。どちらも人気のある観光地ですので、訪ねたことがある方もいるかもしれません。
クアンナムに行くには、まずダナンに行くのが一般的です。ホーチミン市やハノイから、ダナンへの航空機が1日何便も出ています。もし時間があれば、列車で行くのも楽しいと思います。
ダナンからタムキー市までは、車で2時間ほどの道のりです。
アレンさんが駐留した街、タムキー市は、一応クアンナム省の省都(県庁所在地)ですが、役所などが立ち並ぶ中心部以外は「農村」と言ったほうがよい感じです。
ベトナム中部は、変化に富んだ風景の美しいところですが、自然災害の多い地域でもあります。とくに、毎年9月から11月ごろは、台風や洪水の被害に見舞われます。
昨年9月末には、強い台風ケッツァーナが直撃、大きな被害が発生しました(チョンくんの家も、この台風で農作物に大変な被害を受けたそうです)。
ベトナム戦争に多少とも関心のある方は、「ソンミ事件」について聞いたことがあると思います。
1968年3月、米陸軍の1つの小隊が、民間人の村民504名を虐殺した事件です。
この事件が起きたのは、クアンナム省の南にあるクアンガイ省のソンミ村(現ティンケ村)です。タムキーからは50キロほど南にある場所です。
しかしアレンさんの本を読むと、アレンさんの部隊も、作戦行動の中で村民虐殺を日常的に行っていたようです。1960年代後半、ベトナム中部の農村地域では、小規模な「ソンミ事件」が数え切れないほど起きていたのだろうと思います。
クアンナム省のいちばん南にあるチュライの米軍基地は、長い間空き地のままになっていたようですが、最近空港として整備されたそうです。また、チュライの近くにはベトナムで最初の石油精製工場も建設され、これからのベトナムの工業化を牽引する地域として期待されているということです。
ちなみに、「省」は、日本でいえば「県」にあたります。
ベトナムは日本と同じように南北に細長い国ですが、クアンナム省はちょうど真ん中あたりに位置しています。
クアンナムのすぐ北には、ベトナム中部で最大の都市、ダナン市(人口約80万人)があります。
クアンナム省の人口は、約150万人。沖縄県よりも少し多いぐらいです。
海岸沿いには小さな平野が広がっていますが、山の多い地形で、2000メートルを越える山もあります。山地には、主に少数民族の人たちが暮らしているようです。おもな産業は農業です。
クアンナム省には、チャンパ王国の聖地・ミーソン遺跡や、交易で栄えた都市・ホイアンという、2つの世界遺産があります。どちらも人気のある観光地ですので、訪ねたことがある方もいるかもしれません。
クアンナムに行くには、まずダナンに行くのが一般的です。ホーチミン市やハノイから、ダナンへの航空機が1日何便も出ています。もし時間があれば、列車で行くのも楽しいと思います。
ダナンからタムキー市までは、車で2時間ほどの道のりです。
アレンさんが駐留した街、タムキー市は、一応クアンナム省の省都(県庁所在地)ですが、役所などが立ち並ぶ中心部以外は「農村」と言ったほうがよい感じです。
ベトナム中部は、変化に富んだ風景の美しいところですが、自然災害の多い地域でもあります。とくに、毎年9月から11月ごろは、台風や洪水の被害に見舞われます。
昨年9月末には、強い台風ケッツァーナが直撃、大きな被害が発生しました(チョンくんの家も、この台風で農作物に大変な被害を受けたそうです)。
ベトナム戦争に多少とも関心のある方は、「ソンミ事件」について聞いたことがあると思います。
1968年3月、米陸軍の1つの小隊が、民間人の村民504名を虐殺した事件です。
この事件が起きたのは、クアンナム省の南にあるクアンガイ省のソンミ村(現ティンケ村)です。タムキーからは50キロほど南にある場所です。
しかしアレンさんの本を読むと、アレンさんの部隊も、作戦行動の中で村民虐殺を日常的に行っていたようです。1960年代後半、ベトナム中部の農村地域では、小規模な「ソンミ事件」が数え切れないほど起きていたのだろうと思います。
クアンナム省のいちばん南にあるチュライの米軍基地は、長い間空き地のままになっていたようですが、最近空港として整備されたそうです。また、チュライの近くにはベトナムで最初の石油精製工場も建設され、これからのベトナムの工業化を牽引する地域として期待されているということです。
Posted by クアン at 00:14│Comments(0)
│アレン・ネルソン基金