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2010年02月11日

アレン・ネルソン奨学金の報告(その7)ダナン空港

1966年6月、アレン・ネルソンさんがベトナムの第一歩を記したのは、ダナンの基地でした。
新人の海兵隊員ばかりを乗せた、嘉手納発ダナン行きの、コンチネンタル航空のチャーター便でした。

アレンさんは「沖縄からの直行便」でダナンに着いたのですが、私は那覇・台北・ホーチミン市・ダナンと飛行機を3回乗り継いで、夜9時過ぎにダナンに着きました。
しばらくアレンさんの本のベトナム語版作りに没頭していたせいか、それとも単に疲れていたせいなのか、ダナンに着いてベトナム航空機のタラップを降りながら、アレンさんがダナンに着いたときのことが頭に浮かびました。

「ドアが開けられると、ものすごい熱気が機内に流れ込んできました。タラップを降りただけで、すでに全身が汗だくになりました。生まれて初めて経験する、猛烈な暑さでした。
ターミナルビルへ歩いているとき、ふと振り返ると、私たちを乗せてきた飛行機に、20台近くのコンテナが積み込まれようとしていました。そのコンテナをよく見ると、そこに積まれていたのは、死体を入れるボディバッグー厚いプラスチック製の袋でした。その中身は、戦場で死んだアメリカへの死体であることは明らかでした」

ダナンのかつての米軍基地は、いまも空港として使われています。「アレンさんも、まさにこの場所に降り立ったのだな」と、私も汗ばむような暑さを感じながら、不思議な感慨にとらわれました。

その夜、ハン川沿いの喫茶店で、ドンズー・ダナン校のタン先生にアレン・ネルソンさんについて説明していたとき、アレンさんの生命を奪った多発性骨髄腫の話になりました。
「この病気は、米軍が使った枯葉剤と深い関連があると疑われています(注)。ベトナムで使われた枯葉剤は、実は沖縄の基地から運ばれていた可能性が高いと思います」と私が話すと、タン先生はこう言いました。
「枯葉剤が貯蔵されていたのは、ベトナムではダナンです」

ダナンをはじめ、フーカット(ビンディン省)、ビエンホア(ドンナイ省)など、かつて米軍基地だった空港では、現在もダイオキシンの汚染が続いていて、深刻な健康被害をもたらしている、ということは聞いていました。
しかし、ダナン空港は、利用客のかなり多い空港です。その場所で本当に今も深刻なダイオキシン汚染が続いているとしたら、かなり危険な話ではないでしょうか。
タン先生にたずねると、かつて枯葉剤の貯蔵庫が置かれていた場所は、ダナンの空港の中の一部で、その場所では最近、土壌の入れ替えが行われたのだそうです。

枯葉剤の使用が終わって40年近くなる現在でも、ダイオキシン汚染が続いているとされる場所がベトナムには何か所かありますが、その中でとくに利用客が多く、中部の拠点として重要なダナン空港の環境浄化を、ベトナム政府は最優先で行っているのだと聞きました。

ダナン空港は現在は小さなターミナルが1つしかありませんが、その隣りに大きな国際線ターミナルを建設しているところです。

アレン・ネルソン奨学金の報告(その7)ダナン空港

来年か再来年には、おそらく大きく様子が変わっていると思います。国際線の便数も、現在はごくわずかしかありませんが、大幅に増えるのかもしれません。

しかし、私のごく限られた見聞の中でも、カンザーやビンズオン、ビンディンなど、ベトナムのあちこちで枯葉剤の影響のことを聞かされたことがあります。
中部の大都市・ダナンでも深刻な問題が続いているのですね。利用客はともかくとして、住民への影響はどうなのでしょうか。

今回は、時間がとても限られていたこともあって、ダナンの枯葉剤の話は少ししか聞けませんでした。機会があれば、もう少し調べてみたいと思います。

(注)米退役軍人省は、枯葉剤との関連が疑われる病気をリストアップして、疑いの程度に応じてランク付けしています。その中で、多発性骨髄腫は疑いが高いほうから2番目のランクに入っているそうです。
ただ、米政府はアメリカの退役軍人の健康被害と枯葉剤の関連を公式に認めながら、一方でベトナム人の被害に対す責任は認めていません。本当に理不尽な話だと思います。


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