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2010年04月28日

クアンナム新聞の記事

ベトナムの地方紙「クアンナム新聞」が、アレン・ネルソン奨学金についての記事を載せてくれていました。
先日、ベトナムの新聞をインターネットでチェックしていたところ、偶然見つけることができました。

「クアンナム新聞」の記者の方は、2月5日のタムキー市公会堂での奨学金支給式に来て下さっていて、2月6日にもごく簡単な紹介記事を載せてくれました。
その後、3月24日に、かなり詳しい記事が掲載されました。
私が見ているのはオンライン版ですが、おそらく紙面にも載り、クアンナムの多くの方たちが読んでくれたと思います。

記事には何ヶ所か間違いもあります。私の名前が「マラタ・ヨキ」(?)になっていますし、私がホーチミン市の青葉奨学会の代表だというのは、とんでもない勘違いです。
ですが、全体的には、とてもいい紹介記事だと思います。
そして、3月24日といえば、アレンさんの命日の前日です。その日を選んで記事を載せてくれたということに、クアンナムの方々のアレンさんへのあたたかい思いを感じました。

ベトナム語の勉強を兼ねて、記事を日本語訳してみました。以下、ご紹介しますが、誤訳もあると思いますのでご了承下さい。なお、原文はこちらにあります。
http://baoquangnam.com.vn/xa-hoi/38/22117-loi-sam-hoi-cua-mot-cuu-binh-my.html

クアンナム新聞オンライン版 2010年3月24日より

元アメリカ兵士の懺悔の言葉

ベトナムでの戦争に参加した元アメリカ兵士の名前がつけられた奨学金が、はじめてクアンナム地方の生徒たちに手渡された。

アレン・ネルソン奨学金

アレン・ネルソンは、ベトナムで戦った元アメリカ兵士である。アレン・ネルソンが亡くなったあと、彼の家族や友人たちは、彼が残したお金を、かつて彼が駐留したタムキーの生徒たちのための奨学金に使うことを決めた。青葉奨学会沖縄委員会は、ホーチミン市の青葉奨学会を通して、この奨学金を2月にタムキーの生徒たちに届けた。

かつて戦争中にベトナムの人々に罪を犯した元兵士のお詫びの印のような、それぞれ30万ドンの奨学金を、100名の生徒が受け取った。ホーチミン市の青葉奨学会代表マラタ・ヨキ氏は、この奨学金は、アレン・ネルソンが生前願っていたように、家庭は貧しいが勉強が好きな生徒たちや、枯葉剤の後遺症のために身体が不自由な子どもたちが、学校に通って勉強を続けられるようにするために役立てられると語った。

奨学金の他にも、子どもたちは、アレン・ネルソンが書いた「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」という本を、青葉奨学会(ホーチミン市)から贈られた。これは、アレン・ネルソンがベトナムの戦争に参加し、ベトナムの人々に罪を犯したいきさつや、その残虐非道な戦争についての懺悔の言葉を語った本である。マラタ氏は言う。「小学生には、この本はまだ難しいかもしれませんが、もう少し大きくなったら、みなさんぜひ読んで下さいね。これは、ベトナムの人々に対するアレン・ネルソンの心からのお詫びの言葉だからです」

懺悔の言葉

1966年6月、18歳になったばかりのとき、アフリカ系アメリカ人の若者アレン・ネルソンは、クアンナムで戦争に参加した。この地域の人々に対して多くの罪悪を犯したあと、一年後にアレン・ネルソンはベトナムを離れた。アメリカに戻って、アレン・ネルソンは、ベトナムで戦った多くの元アメリカ兵士が取りつかれた症状に罹った。それは「心的外傷後ストレス障害」、多くの人がわかりやすく「戦争症候群」と呼んでいるものである。20年間にわたって「悪夢の中を生き」、精神の治療を行ったが、非道な戦争の痛ましい記憶はこの元アメリカ兵士の心に深く刻まれ、毎日疼き続けていた。

1996年から、アレン・ネルソンはベトナムの戦場の真実を語り、非道な戦争に反対する活動に参加するようになった。彼が多く訪ねた場所は日本、とくに現在も多くの米軍基地が残っている沖縄であった。また、2005年にはアレン・ネルソンは戦場を離れてから38年ぶりにベトナムに戻る機会を持った。ダナンで、彼は、枯葉剤被害者への賠償をアメリカ政府が拒んでいることに抗議するデモ行進に参加した。「私は村を燃やしました。皆さんの子どもたちを殺しました。お年寄りや女性たち、兵士たちを殺しました。私はベトナムの地で、数え切れないほどの人たちに暴力をふるいました。私は、この過ちを犯したことを、生涯悔やんでいます。なぜなら、皆さんは私や私の家族を傷つけたことなどなかったからです。私は罪を許してほしいとは言いません。なぜなら、私がベトナムに戻った目的は、謝罪することだからです」と、アレン・ネルソンは書いている。

2009年3月25日、アレン・ネルソンは骨髄腫との長い闘いのあとに、世を去った。これは、彼がベトナムの戦争中に浴びたオレンジ枯葉剤の影響で引き起こされた病気である。アレン・ネルソンの子どもたちや親戚は語っている。「彼は、人生の最後の瞬間まで、ベトナムの人々のことを案じ、想いを寄せていました」

チュオン・スアン・フー


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