てぃーだブログ › ベトナム青葉奨学会沖縄委員会 › 会員から › 瀬長島 八月の地図

2009年10月01日

瀬長島 八月の地図

青葉奨学会沖縄委員会会員の金城さんより、お連れ合いの写真展の案内をいただきました。

金城盛弘 写真個展
「瀬長島 八月の地図」
10月4日(日)まで 9時から18時(金・土は20時まで)
沖縄県立博物館・美術館 1階 県民ギャラリー
入場無料

「瀬長島は昔から神の島、信仰の島として多くの拝所があった。しかし戦後すぐ米軍に接収され、弾薬貯蔵施設となり、弾薬等を運搬するための湾岸道路や海中道路が建設され、車両の転落防止に海岸沿いにはガードレールの代わりにコンクリートの支柱が無数にたてられた。支柱と支柱の間は鉄の鎖で繋がれ、まるで島全体が鎖で縛られているかのようであった」

「瀬長島は、1977年に米軍から返還されるが、鎖は潮風などにより錆落ちていき、放たれることとなった。コンクリートの支柱も施設建設や道路拡張工事などによる撤去、車両の衝突、自然の塩害や台風などにより次第に朽ち果て、現在倒壊中の2柱を含め、86柱がその形をとどめるに至っている」

瀬長島には、私も夕暮れ時などによく行きますが、かつて米軍の弾薬庫になっていたことは知りませんでした。
海岸沿いの朽ちた支柱も、いつも目にしてはいますが、とくに気に留めたことはありませんでした。

おそらく私だけでなく、この支柱に注意を向けた人は、ほとんどいないのでないでしょうか。
この支柱を、「島に刻まれた地勢の記憶」として、金城さんが写真に記録しました。

瀬長島に貯蔵されていた弾薬は、1960年代後半から70年代初めには、ベトナムの大地に落とされ、ベトナムの子どもたちや人々を傷つけたはずです。
この島が背負わされた悲しい歴史に、複雑な思いを抱きます。


同じカテゴリー(会員から)の記事
会員の方々から
会員の方々から(2010-09-15 00:05)


Posted by クアン at 23:30│Comments(0)会員から
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。