2011年03月06日

枯葉剤と沖縄

ETV特集「枯葉剤の傷痕を見つめて」が、今夜、NHK教育テレビで再放送されるようです。
つい1ヶ月前の番組のアンコール放送ということなので、相当な反響やリクエストがあったのだと思います。

坂田雅子さんには、2年前に「花はどこへ行った」の上映で沖縄に来られたときに、私も少しお話しさせていただきました。
その後も、地道に、またエネルギッシュに取材を続けていらっしゃることを知り、本当に感服です。

私たちが奨学金を支援している地域のひとつ、ホーチミン市の南東にあるカンザー地区は、ベトナム戦争中、最もひどく枯葉剤の被害を受けた場所のひとつです。
また、ビンズオンやビンディン、ダナンなど、奨学生たちが暮らしている地域を訪ねるたび、何度も枯葉剤の話を聞かされました。

私たちの奨学金支援は、とくに枯葉剤被害者を対象にしているというわけではないのですが、枯葉剤のことはずっと気になっていました。

いまから4年前の2007年7月9日、「北部訓練場で枯葉剤散布」というニュースが報じられました。
「1961年から62年にかけて、沖縄本島の北部訓練場などで米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を散布。作業に当たった元米兵が、前立腺ガンなどの後遺症を米退役軍人省から認定されていた」ことが、アメリカの公文書で明らかになった、という内容でした。
琉球新報、沖縄タイムスともに、夕刊の1面トップ記事という大きな扱いでした。

「ベトナムで使われた枯葉剤は、どうやら沖縄の基地から運ばれていたらしい」という話は、それまでも何度か聞いたことがありましたが、私の知る範囲では、はっきりした確証はありませんでした。
それが、「沖縄の基地で枯葉剤を散布し、そこからベトナムにも運んでいたことを、アメリカの公的機関が認めていた」というのですから、とても驚かされました。

その後、私たちは、化学の先生にお願いして枯葉剤についての小さな勉強会を行ったり、自分たちでも資料を集めたりして調べてみました。
1961年というと、米軍がベトナムで初めて枯葉剤散布を実施した年です。散布量としては、まだ多くはありませんでした。
また、ベトナムでの本格的な使用に向けてだと思うのですが、プエルトリコやタイなど、世界の各地で枯葉剤の散布実験を行い、データを集めていた時期だということがわかりました。

この時期に米軍が北部訓練場などで枯葉剤散布をしていたというのが事実だとすると、データ収集の目的もあったのではないか、そう考えるのが自然なように思います。

2007年7月に明らかになった公文書以外に、米軍が沖縄で枯葉剤を使っていたことを示すような資料は、いまのところ見つかっていないようです(私が知らないだけかもしれませんが…)。
でも、アメリカ政府にとって不都合な請求を、他ならぬアメリカの役所が認定しているわけですから、相当な根拠があっての判断なのだとおもいます。

枯葉剤の後遺症を認定された元米兵は、1961年か2月から1962年4月まで沖縄に滞在。ベトナムに行ったことはないそうです。
沖縄では自動車運転を専門とし、海兵隊の輸送部隊に所属。ベトナム行きの待機中の部隊に枯葉剤などを輸送する作戦に従事したほか、枯葉剤をディーゼル油などと混合して、ドラム缶に注入する作業も担当。
北部訓練場の基地周辺や道路脇などで、枯葉剤が入った容器を背負って散布したこともあり、このような作業は最低でも2ヶ月以上続いた、ということです。
かなり具体的なことが書かれている、という印象を持ちます。

沖縄の米軍基地がベトナム戦争の兵站・出撃基地になったのは言うまでもないことですが、枯葉剤の貯蔵や実験なども行われていたのでしょうか。
ベトナムの人たちの上に撒かれた枯葉剤は、やはり沖縄から運ばれていたのでしょうか。
まだはっきりしないことばかりなのですが、とても気になります。


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