2011年01月29日
沖縄のヒヌカンとベトナムのタオクアン(2)
★タオクアンを送り出す儀式をベトナムで見てきたそうですが、どのような儀式を行っているのですか。
☆今回、タオクアンについて調べるにあたって、琉大に来ている留学生のKくんに、いろいろ質問しました。
Kくんは実家のお母さんに電話して、私の疑問について詳しく問い合わせてくれました。
タオクアンの儀式についても、「ぼくの実家に見に行ってみたら」と持ちかけてくれたので、2009年の2月にベトナムに行って見学させていただきました。
Kくんの実家は北部のタイビン省の農村部にあります。
タオクアンの儀式はお母さんが中心になって行っていましたが、ハノイの大学に行っているKくんの妹さんも帰省してお手伝いをしていました。
お父さんのほうは、料理などを少し手伝ってはいましたが、タオクアンの儀式にはあまり関心はないようでした。
ベトナムの北部では、タオクアンは鯉に乗って天に昇ると考えられています。(こんなイメージ)

陰暦12月23日には、市場の周辺に、鯉を売る人がたくさん集まります。
Kくんの実家でも、妹さんが市場に出かけて、鯉を3匹と祭壇に供える花を買っていました。
家では、お母さんが鶏をさばいて、お供え物の料理の準備をします。
祭壇には、花や果物、お酒、おこわ、線香、紙銭、鯉3匹をお供えして、祭壇の電気をつけます。料理が完成すると、それをお供えして、お母さんがタオクアンへの祈願の言葉を唱えます。
祈願の内容は、家族の健康と幸運、子どもたちの学業の進歩などを祈るものです。
祈願文の一部を紹介すると、
「あなたは私たちを観察する神です
俗世間の私たちの犯した罪を判断します
あなたの心の広さで私たちの過ちを許して下さい」
「今日、あなたは天に帰ります
衷心よりお願いしたいことがあります
百姓(一般の人民)が平穏でありますように
家族が穏やかに仲良くいられますように
葉のように青く、花のように美しく
若者も年寄りも安楽に新年を迎えられますように
(氏名・住所を述べて)一心にお祈りします
南無阿弥陀仏(ナモアジダファット)」
タオクアンへの祈願が終わると、紙銭や「マー」と呼ばれる紙の冥器を、庭で燃やします。
そのあと、祭壇に供えた鯉を、川に放しに行きます。
ひと通り儀式が終わると、祭壇に供えた料理を下げて、家族みんなで食事をして終了です。
★ベトナムでは、タオクアンに関する言い伝えのようなものはあるのでしょうか。
☆いくつかの言い伝えがあります。細かい部分ではそれぞれ違いがあるのですが、大筋ではほぼ共通しています。
共通しているのは、次のようなあらすじです。
「1組の夫婦が、理由はさまざまだが離婚し、その後妻は再婚する。
夫は乞食となり、元の妻の家に、それとは知らずに物乞いに行く。
妻は前夫をもてなすが、新しい夫が戻ってきたので、積んである藁の中に前夫を隠す。
新しい夫は、前夫が隠れているとは知らずに藁を燃やす。
妻は前夫を助けようと火に飛び込み、2人とも焼死してしまう。
新しい夫もそれを悲しんで火に飛び込み、死ぬ。
天の神(または地の神)が、この3人を台所の神とした」
タオクアンの言い伝えは、学校の教科書にも取り上げられているそうで、ベトナムでは誰もが知っている有名な話です。
★そうすると、タオクアンの神様は3人ということになるのでしょうか。また、沖縄のヒヌカンの場合は、どうなのでしょうか。
☆その通りで、タオクアンは女1人と男2人の神様だと考えられています。
これは、かまどが3つの石からできていたことと関連があると思います。
また、かつてベトナムが母系社会だったことと結びつけて解釈する方もいるようです。
沖縄のヒヌカンの場合は、3人の神様だと考えている方もいれば、1人または2人と考えている方もいて、まちまちです。
1人という考え方は、中国の影響を受けているのではとも思いますが、沖縄では、神様の人数についてはあまり重視されていないようです。
★ベトナムのタオクアンと沖縄のヒヌカンで異なっている点は、ほかにはどんなことがありますか。
☆沖縄の場合、家庭で祀られるヒヌカンのほかに、「村・殿・ノロ・地頭・門中などの火の神」がありますが、ベトナムのタオクアンは、家庭で祀られるものだけです。
また、沖縄のヒヌカンには、祭壇の香炉を通してさまざまな神様と交信する、「お通し」といわれるインターネットのような役割があると考えられていますが、ベトナムではこのような考え方はありません。
それと、ヒヌカンの場合は「火の神(ヒヌカン)」という名称が表しているように、火に対する信仰の要素があります。
ベトナムでも、もともとは火を神聖なものとして考えていたようですが、現代のベトナム人には、タオクアンの中に「火の神(than lua)」を信仰するという意識は残ってないようです。
タオクアンの場合、むしろ土地の神様と結びつけて考えられる傾向があります。
★先日、Googleに「tao quan」と入力して検索してみたところ、「Tao Quan 2010」などと題された多くの動画がアップされていました。試しに見てみると、どうもお笑いの劇のようでした。
このお笑い劇は、かまど神のタオクアンとどんな関係があるのですか。
☆毎年、年末になると、タオクアンの3人の神様をはじめ、玉皇上帝やその他の神様が登場して、その年の世相を風刺するというお笑い劇が演じられます。
もちろん本物の神様が出てくるわけではなくて、俳優が演じるわけですが…。

この劇は「タオクアン」というタイトルで全国放映されて、人気を集めています。
この番組は、テト休みの間中、何度も再放送されています。
★なるほど。タオクアンは、単にかまどの神様として信仰の対象であるだけでなく、ベトナムの人たちに親しまれるキャラクターでもあるようですね…。
ところで、ベトナムの共産党政権は「信教の自由は認めるが、迷信は禁止する」という政策をとっていると聞いたことがあります。タオクアンへの信仰が、政府によって禁止されたことはあったのでしょうか。
☆占い師などが、「迷信を広めて社会を混乱させる」という理由で、規制を受けることはあったようですが、タオクアンの信仰が禁止されたことはないようです。
ベトナムの場合、中国の文革やカンボジアのポルポト時代のような極端な政策はとっていないので、タオクアン信仰のように広く普及した習慣を取り締まるようなことはしてこなかったのだと思います。
とはいっても、戦争や貧困の時代が長く続くなかで、タオクアンへの信仰を守り続けるのは、庶民にとって大変なことだったはずです。
今回お話しを聞かせていただいた方々も、「貧しい時代には、生活していくことで精一杯で、儀式の日のお供えもほとんど用意できなかった」と話していらっしゃいました。
それでも、どのような厳しい時代でも、タオクアンへの信仰や儀式は途切れることなく続けられてきたそうです。
★ありがとうございます。最後に、このテーマについて、これからも研究を続ける予定はありますか。
☆今回タオクアンについて調べてみて、ベトナムの民間信仰について知ったというだけでなく、ベトナムの人たちの、家族の健康や幸せを祈る強い気持ちを感じました。
タオクアンについて研究を続ける予定は、いまのところないのですが、ベトナムの人たちともっと話をしたい、ベトナムの人たちの暮らしや考え方をもっと知りたい、という気持ちはさらに強くなりました。
ですから、ベトナム語をもっと勉強して、聞き取りや資料を読む力をつけた上で、もしできれば、将来もう一度このテーマに挑戦してみたいと思っています。
☆今回、タオクアンについて調べるにあたって、琉大に来ている留学生のKくんに、いろいろ質問しました。
Kくんは実家のお母さんに電話して、私の疑問について詳しく問い合わせてくれました。
タオクアンの儀式についても、「ぼくの実家に見に行ってみたら」と持ちかけてくれたので、2009年の2月にベトナムに行って見学させていただきました。
Kくんの実家は北部のタイビン省の農村部にあります。
タオクアンの儀式はお母さんが中心になって行っていましたが、ハノイの大学に行っているKくんの妹さんも帰省してお手伝いをしていました。
お父さんのほうは、料理などを少し手伝ってはいましたが、タオクアンの儀式にはあまり関心はないようでした。
ベトナムの北部では、タオクアンは鯉に乗って天に昇ると考えられています。(こんなイメージ)

陰暦12月23日には、市場の周辺に、鯉を売る人がたくさん集まります。
Kくんの実家でも、妹さんが市場に出かけて、鯉を3匹と祭壇に供える花を買っていました。
家では、お母さんが鶏をさばいて、お供え物の料理の準備をします。
祭壇には、花や果物、お酒、おこわ、線香、紙銭、鯉3匹をお供えして、祭壇の電気をつけます。料理が完成すると、それをお供えして、お母さんがタオクアンへの祈願の言葉を唱えます。
祈願の内容は、家族の健康と幸運、子どもたちの学業の進歩などを祈るものです。
祈願文の一部を紹介すると、
「あなたは私たちを観察する神です
俗世間の私たちの犯した罪を判断します
あなたの心の広さで私たちの過ちを許して下さい」
「今日、あなたは天に帰ります
衷心よりお願いしたいことがあります
百姓(一般の人民)が平穏でありますように
家族が穏やかに仲良くいられますように
葉のように青く、花のように美しく
若者も年寄りも安楽に新年を迎えられますように
(氏名・住所を述べて)一心にお祈りします
南無阿弥陀仏(ナモアジダファット)」
タオクアンへの祈願が終わると、紙銭や「マー」と呼ばれる紙の冥器を、庭で燃やします。
そのあと、祭壇に供えた鯉を、川に放しに行きます。
ひと通り儀式が終わると、祭壇に供えた料理を下げて、家族みんなで食事をして終了です。
★ベトナムでは、タオクアンに関する言い伝えのようなものはあるのでしょうか。
☆いくつかの言い伝えがあります。細かい部分ではそれぞれ違いがあるのですが、大筋ではほぼ共通しています。
共通しているのは、次のようなあらすじです。
「1組の夫婦が、理由はさまざまだが離婚し、その後妻は再婚する。
夫は乞食となり、元の妻の家に、それとは知らずに物乞いに行く。
妻は前夫をもてなすが、新しい夫が戻ってきたので、積んである藁の中に前夫を隠す。
新しい夫は、前夫が隠れているとは知らずに藁を燃やす。
妻は前夫を助けようと火に飛び込み、2人とも焼死してしまう。
新しい夫もそれを悲しんで火に飛び込み、死ぬ。
天の神(または地の神)が、この3人を台所の神とした」
タオクアンの言い伝えは、学校の教科書にも取り上げられているそうで、ベトナムでは誰もが知っている有名な話です。
★そうすると、タオクアンの神様は3人ということになるのでしょうか。また、沖縄のヒヌカンの場合は、どうなのでしょうか。
☆その通りで、タオクアンは女1人と男2人の神様だと考えられています。
これは、かまどが3つの石からできていたことと関連があると思います。
また、かつてベトナムが母系社会だったことと結びつけて解釈する方もいるようです。
沖縄のヒヌカンの場合は、3人の神様だと考えている方もいれば、1人または2人と考えている方もいて、まちまちです。
1人という考え方は、中国の影響を受けているのではとも思いますが、沖縄では、神様の人数についてはあまり重視されていないようです。
★ベトナムのタオクアンと沖縄のヒヌカンで異なっている点は、ほかにはどんなことがありますか。
☆沖縄の場合、家庭で祀られるヒヌカンのほかに、「村・殿・ノロ・地頭・門中などの火の神」がありますが、ベトナムのタオクアンは、家庭で祀られるものだけです。
また、沖縄のヒヌカンには、祭壇の香炉を通してさまざまな神様と交信する、「お通し」といわれるインターネットのような役割があると考えられていますが、ベトナムではこのような考え方はありません。
それと、ヒヌカンの場合は「火の神(ヒヌカン)」という名称が表しているように、火に対する信仰の要素があります。
ベトナムでも、もともとは火を神聖なものとして考えていたようですが、現代のベトナム人には、タオクアンの中に「火の神(than lua)」を信仰するという意識は残ってないようです。
タオクアンの場合、むしろ土地の神様と結びつけて考えられる傾向があります。
★先日、Googleに「tao quan」と入力して検索してみたところ、「Tao Quan 2010」などと題された多くの動画がアップされていました。試しに見てみると、どうもお笑いの劇のようでした。
このお笑い劇は、かまど神のタオクアンとどんな関係があるのですか。
☆毎年、年末になると、タオクアンの3人の神様をはじめ、玉皇上帝やその他の神様が登場して、その年の世相を風刺するというお笑い劇が演じられます。
もちろん本物の神様が出てくるわけではなくて、俳優が演じるわけですが…。

この劇は「タオクアン」というタイトルで全国放映されて、人気を集めています。
この番組は、テト休みの間中、何度も再放送されています。
★なるほど。タオクアンは、単にかまどの神様として信仰の対象であるだけでなく、ベトナムの人たちに親しまれるキャラクターでもあるようですね…。
ところで、ベトナムの共産党政権は「信教の自由は認めるが、迷信は禁止する」という政策をとっていると聞いたことがあります。タオクアンへの信仰が、政府によって禁止されたことはあったのでしょうか。
☆占い師などが、「迷信を広めて社会を混乱させる」という理由で、規制を受けることはあったようですが、タオクアンの信仰が禁止されたことはないようです。
ベトナムの場合、中国の文革やカンボジアのポルポト時代のような極端な政策はとっていないので、タオクアン信仰のように広く普及した習慣を取り締まるようなことはしてこなかったのだと思います。
とはいっても、戦争や貧困の時代が長く続くなかで、タオクアンへの信仰を守り続けるのは、庶民にとって大変なことだったはずです。
今回お話しを聞かせていただいた方々も、「貧しい時代には、生活していくことで精一杯で、儀式の日のお供えもほとんど用意できなかった」と話していらっしゃいました。
それでも、どのような厳しい時代でも、タオクアンへの信仰や儀式は途切れることなく続けられてきたそうです。
★ありがとうございます。最後に、このテーマについて、これからも研究を続ける予定はありますか。
☆今回タオクアンについて調べてみて、ベトナムの民間信仰について知ったというだけでなく、ベトナムの人たちの、家族の健康や幸せを祈る強い気持ちを感じました。
タオクアンについて研究を続ける予定は、いまのところないのですが、ベトナムの人たちともっと話をしたい、ベトナムの人たちの暮らしや考え方をもっと知りたい、という気持ちはさらに強くなりました。
ですから、ベトナム語をもっと勉強して、聞き取りや資料を読む力をつけた上で、もしできれば、将来もう一度このテーマに挑戦してみたいと思っています。
Posted by クアン at 21:17│Comments(0)
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