2011年08月05日
チャンさんのこと
2ヶ月ぐらい前、奨学生たちから届いた20通ほどの手紙の中に、なつかしい名前を見つけました。
タオ・チャンさん。
9年前にカンザーのビンカン高校を卒業して、いまはホーチミン市内の会社で働いている女性です。
チャンさんは、こんな手紙をくれたのです。
「わたしの名前は、タオ・チャンです。
1995年から2001年まで、わたしは沖縄のSさんが送って下さった奨学金をいただいていました。
わたしが高校を卒業したあと、Sさんは、わたしの妹に支援を続けて下さっています。
妹は、2002年から2010年まで、奨学金をいただいています。
先日、日本で恐ろしい地震が起こったことを知って、わたしはとても胸が痛み、Sさんとご家族のことをとても心配しています。
いまわたしはこのお手紙を書いて、青葉奨学会の先生方に、Sさんとご家族に連絡を取って下さるようにお願いします。
わたしは、Sさんたちの安否と、いまどのような生活をされているのかを、とても知りたいのです。
わたしのメールアドレスは、○○○です。
わたしは、先生方からのお返事を、待ち侘びています。
わたしは何度もメールを送りましたが、うまく届かないようなので、このお手紙を書いています。
先生方のご健康をお祈りいたします。」
チャンさんの手紙は、青葉奨学会のベトナムの事務局宛のものでしたが、そこから私のところに転送されてきました。
私は以前にチャンさんの手紙を何度か翻訳していて、手書きの字にもどこか見覚えがありました。
いつもていねいな手紙を書いてくれる子で、とくに印象に残っている奨学生の1人です。
チャンさんに奨学金を送っていたSさんは、そのころ学校の先生を目指して勉強中でした。
Sさんは、2001年に私たちが企画した「遊歴越南・素顔のベトナムと出会う旅」に参加して、はじめてチャンさんの家を訪ねました。
そのときチャンさんはたしか高校3年生。チャンさんも学校の先生を目指していると聞き、「いっしょに頑張ろう」と励ましあったそうです。
その後、Sさんは見事に教員採用試験に合格して、いまは先生になっています。
チャンさんのほうは、師範大学の受験に失敗し、短大を出て会社員になったと聞きました。
家庭の事情からいって、もう一度挑戦する、ということはできなかったのだと思います。
チャンさんの手紙を受け取って、さっそく、沖縄では地震の直接の影響はなく、みんな平穏に暮らしていること、Sさんも無事であることを書いて、手紙に書かれていたアドレスに送りました。
しばらくしてもチャンさんからの返事がないため、半月ほどあとにもう一度送ってみると、チャンさんからのメールが届きました。迷惑メールに入ったりして、うまく届かなかったようです。
チャンさんのご家族は、Sさんたちの無事を知って、とても喜んでくれた様子でした。
それから何度か、チャンさんとメールのやりとりをしたのですが、先日のメールで「もし時間があったら、私のブログを見て下さい」と、ブログのアドレスを教えてくれました。
ベトナムのニュースのサイトなどは時々見ていますが、ベトナムの人が書いたブログを見るのは初めてです。
ヤフー・ベトナムが運営するブログサイト。開いてみると、記事の内容にあったBGMが流れてきたりして、かなり工夫したつくりになっています。
チャンさんのブログは、「Song de yeu thuong」というタイトルがついています。「愛するために生きる」という感じでしょうか。
読んでみると(少し難しいので、辞書を引きながらでないと読めませんが)、家族や友人のこと、ボランティア活動のことなど、とても生き生きと描かれています。
いま、チャンさんが書いた「Nghe cua me(母さんの仕事)」という記事を、少しずつ日本語に訳しています。
行商をして家族の生計を支えたお母さんの苦労や、お母さんを見つめるチャンさんの思いが詰まった文章です。
もしできれば、このブログで紹介してみたいと思います。
タオ・チャンさん。
9年前にカンザーのビンカン高校を卒業して、いまはホーチミン市内の会社で働いている女性です。
チャンさんは、こんな手紙をくれたのです。
「わたしの名前は、タオ・チャンです。
1995年から2001年まで、わたしは沖縄のSさんが送って下さった奨学金をいただいていました。
わたしが高校を卒業したあと、Sさんは、わたしの妹に支援を続けて下さっています。
妹は、2002年から2010年まで、奨学金をいただいています。
先日、日本で恐ろしい地震が起こったことを知って、わたしはとても胸が痛み、Sさんとご家族のことをとても心配しています。
いまわたしはこのお手紙を書いて、青葉奨学会の先生方に、Sさんとご家族に連絡を取って下さるようにお願いします。
わたしは、Sさんたちの安否と、いまどのような生活をされているのかを、とても知りたいのです。
わたしのメールアドレスは、○○○です。
わたしは、先生方からのお返事を、待ち侘びています。
わたしは何度もメールを送りましたが、うまく届かないようなので、このお手紙を書いています。
先生方のご健康をお祈りいたします。」
チャンさんの手紙は、青葉奨学会のベトナムの事務局宛のものでしたが、そこから私のところに転送されてきました。
私は以前にチャンさんの手紙を何度か翻訳していて、手書きの字にもどこか見覚えがありました。
いつもていねいな手紙を書いてくれる子で、とくに印象に残っている奨学生の1人です。
チャンさんに奨学金を送っていたSさんは、そのころ学校の先生を目指して勉強中でした。
Sさんは、2001年に私たちが企画した「遊歴越南・素顔のベトナムと出会う旅」に参加して、はじめてチャンさんの家を訪ねました。
そのときチャンさんはたしか高校3年生。チャンさんも学校の先生を目指していると聞き、「いっしょに頑張ろう」と励ましあったそうです。
その後、Sさんは見事に教員採用試験に合格して、いまは先生になっています。
チャンさんのほうは、師範大学の受験に失敗し、短大を出て会社員になったと聞きました。
家庭の事情からいって、もう一度挑戦する、ということはできなかったのだと思います。
チャンさんの手紙を受け取って、さっそく、沖縄では地震の直接の影響はなく、みんな平穏に暮らしていること、Sさんも無事であることを書いて、手紙に書かれていたアドレスに送りました。
しばらくしてもチャンさんからの返事がないため、半月ほどあとにもう一度送ってみると、チャンさんからのメールが届きました。迷惑メールに入ったりして、うまく届かなかったようです。
チャンさんのご家族は、Sさんたちの無事を知って、とても喜んでくれた様子でした。
それから何度か、チャンさんとメールのやりとりをしたのですが、先日のメールで「もし時間があったら、私のブログを見て下さい」と、ブログのアドレスを教えてくれました。
ベトナムのニュースのサイトなどは時々見ていますが、ベトナムの人が書いたブログを見るのは初めてです。
ヤフー・ベトナムが運営するブログサイト。開いてみると、記事の内容にあったBGMが流れてきたりして、かなり工夫したつくりになっています。
チャンさんのブログは、「Song de yeu thuong」というタイトルがついています。「愛するために生きる」という感じでしょうか。
読んでみると(少し難しいので、辞書を引きながらでないと読めませんが)、家族や友人のこと、ボランティア活動のことなど、とても生き生きと描かれています。
いま、チャンさんが書いた「Nghe cua me(母さんの仕事)」という記事を、少しずつ日本語に訳しています。
行商をして家族の生計を支えたお母さんの苦労や、お母さんを見つめるチャンさんの思いが詰まった文章です。
もしできれば、このブログで紹介してみたいと思います。
Posted by クアン at 09:27│Comments(0)
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